第1回スキーツアー

あいにく台風並みに発達した低気圧の影響で北海道は暴風雪が吹き荒れ、
千歳行きはほとんどの便が欠航がしましたが、幸い20日出発組みも
21日出発組みも唯一飛んだ便に乗ることができました。
本当にラッキーでした。

ゲレンデは22日(日)まで降雪と強風でほとんど視界がきかず、リフトも
半分以上休止で散々でしたが、23日(月)はうそのように晴れ上がり、
前日まで見えなかった羊蹄山を正面に見て広いゲレンデを滑りまくりました。
雪質は最高で、ここではだれもがスキーがうまくなったよう感じます。
たくさん来ているオーストラリア人も「Excellent !!」を連発でした。

宿はゲレンデまで30秒。小さいながらも天然温泉があり、バイキングも
毎日内容が変わってついつい食べすぎてしまいました。係りの人もみな親切で、
中年以上の客が多かったのも頷けます。
                                                    冨永 正治


新千歳閉鎖、壁紙事件、トン汁事件、大阪のおばちゃん事件、ホテル事件、
雪の中抱き寄せ事件などなど色々ありましたが、ほんとに楽しいスキー旅行でした。
何しろ毎日毎日宴会、そしてバタンキューでしたから
                          福田 芳枝


1) まず旅費は格安でした。私の場合で往復の飛行機代+スキー場までの
バス代+ホテル3泊4日(朝夕食付)+リフト券4日分(全日2日+半日2日)
付きで8万8千円。

2) 山田温泉ホテルは古くて(名前も古くさい)学生の合宿所みたいでし
たが、ゲレンデのすぐ前で、温泉付きで、従業員は親切だしご飯もおいし
かった。娘がスノボの格安ツアーで泊まった宿では、夕食がハムカツと
キャベツだけだったらしいですが、今回は毎日色々なメニューが食べ放題
で感激でした(だいぶ太ってしまったけど)。

3) 北海道往復の飛行機は私たちのグループの乗った20日(金)朝8時の
便だけが飛んで、後は全て悪天候のために欠航。翌21日も朝からずっと欠航
で、藤本くんの乗った18時50分の便だけが飛びました。彼は、本当は朝8時
発のはずだったのに関空で12時間待ち続け、ホテル到着が真夜中の1時、
それから3時まで歓迎の宴会でした。

4) 20日〜22日は天候は悪かったけど雪質は良くて、何だか上手になった
気がしました。23日(月)は快晴で、羊蹄山からの日の出を窓から眺めなが
らの朝食で、ゲレンデもまた素晴らしい眺めでした。

5) 同じホテルに宿泊していたグループは高齢者が多く、私たちは完全に
若者グループでした。お風呂で一緒になった女性は65歳で、10年前に駅で
電車に乗ろうとして滑って転び右足の骨折をしたけど60歳からスキーを始め、
2年目にはゲレンデで転倒して右膝内側側副じん帯を断裂したけどまた滑り
始めたとのことで、上には上がいるものだと感心しました。

6) 男性チームは全員抜群にスキーが上手でした(私は下手の横好き)。
赤坂くんはずーっとgoing my wayで、23日も他の5人は7時から朝食8時
20分にゲレンデ集合してやる気満々ではりきっているのに、「僕は最終日
には滑らない主義なの」とのことでした。

7) 富永くんはさすがに毎日10キロ走っているだけあって疲れを知らず
にタフに滑りまくっていました。最初は私がドジをするたびに指を折って
、MLで報告するんやと張り切っていたけど、覚えきれなくてあきらめた
みたいね(やれやれ)。ここですべてを告白するとますます長くなるので
割愛させていただきます。

8) ゲレンデでは、守男くんが老眼のためコース地図を読み違え、上級者
向けの林の中の新雪でぼこぼこの急傾斜に紛れ込んでしまい、私は、転倒し
ては雪に埋もれ、藤本くんに掘り出してもらいながら泣き泣き脱出しました
が、幸いにけがはしませんでした。でも、ホテルの部屋で、椅子の足につま
づいて転倒し、壁に激突してざらざらの壁でおでこを擦りむいて、今もおで
こに絆創膏を貼って仕事をしています。どうしたのですかとみんなに聞かれ
るのがとても恥ずかしいわ(とほほ)。

来年はもっと大勢で行けるといいですね。職場の仲間で毎年続けているスキ
ーツアーではいつも私が最年長なのですが、同期のツアーは本当に気楽です。
下手は下手なりに楽しめるし。私は、今回は長期間の父の看病で事前のトレ
ーニングもなくぶっつけ本番だったので、数日後には筋肉痛が出てくるだろ
うと覚悟していましたが、結局どこも痛くなりませんでした。出発前に母から
「危ないからあまり滑らないようにね!」とクギを刺されたせいもあり、少し
おとなしすぎたのかも知れません。次回は、もっと身体を鍛えておいて、
がんがん滑りたいわ。
                                                     岡 博子


私は昨年妻を失って失意の下、何もする気がなくなっていましたが、
今回のニセコスキーはすべてを忘れて思う存分滑りまくりました。

6人のうち、私以外の5人は2月20日(金)の関空8:00発の便で行って、
午後からニセコで楽しんでいたようです。
私は残念ながら1日遅れで、翌21日(土)でしたが、あのころの3日間、
新千歳空港が雪でほとんど閉鎖され、21日朝7時に関空に行ったものの、
8:00の便はもちろん欠航。やっとその日の19:00の最終便がとれたけど、
その便も飛ぶかどうかわからないし、新千歳からニセコまで2時間半の
陸路は保障できないから自費で行くなら席を押さえます、そうでなければ
キャンセル扱いと言われました。
それをニセコに先に行ってる芳枝ちゃんを始めみんなに伝えると、とにかく
待ってるからタクシーでもなんでも来てくれたら、みんなで割ったら大したことない、 

と言われ、ものすごい元気をもらって、関空で朝7時から12時間も待ちました。

結局、岡さんが書いたように、みんなの待ってるニセコに夜中の1時前に着いて
歓迎を受け(実はウイスキーを買って来いとの指令があり、ウイスキーとブランディ
の2本を持って行ったので歓迎してくれたのかな)、3時まで宴会。
そのあと宿の温泉。すごく気持ちのいい硫黄泉でした。

次の日は朝から新雪でめっちゃたのしいスキー三昧。
初めて行ったニセコはバラエティにとんだゲレンデでした。
天気はあまり良くなかったけど毎日新雪でした。
コースもいろいろありましたが3日間とも毎日新雪。
その中で、23日(月)だけは晴れて羊蹄山も目の前ですごくきれい。

その日、守男君はいいコースがあると、「花園ゲート」なるものを見つけ、
富永くん、博子さん、私の4人を連れてゲートに入って行きました。
「No、Sweep!、No、Patrol!」の看板があるなぁと意識しながら。
すごい急斜面のすごい新雪!
要はコース外です!
その時、芳枝ちゃんの書いた「雪の中抱き寄せ事件」が発生。
ぼくは40年前の1年6組の同級生で憧れの人を抱き寄せることができるとは思っても
いなかったのですが、優秀な女医さんをこのまま雪に埋もれさせることは社会に
反する、抱きよせなきゃ、と思っただけです。
そのあと、守男君と富永君にめっちゃうらやましがられましたが、、。

でも3年ぶりのスキーではありましたが、結構体力あったな。とおもいました。
                           
                          藤本 泰久

1.SKIか宴会か
  小生の記憶では宴会しか脳裏に残ってません.
  体力不足が露呈してSKIで先頭に立つのは最初の数本のみとのこと(トホホ)

  30年物のSKI板も今回のTOURでオシャカに....
  LIFTに乗って上のゲレンデで遭難しなくて本当に良かった.

2.老眼ネタ
 (1)宇と字
    FONTが10Point程度では見分けがつかない.
    住所で出てくる鄙びた場所を示す漢字!

 (2)携帯FONT
    強烈なでかい文字
    多分6文字/行くらい
    小生が    「"ガン見"されるのとチャウ?」
    ある嬢曰く「"ガン見"て何?」
    もう1人も「俺も知らん」

    小生は若者振るつもりはありませんが,
    「ガン見」と「チラ見」ぐらいは知ってます.
                          赤坂 政利