140406

3年5組同窓会


7-10-5 中井芳枝です

4日に行いました、3-5の同窓会報告ですが、一日が過ぎ、かなりの部分忘れてしまい、大した報告ができません。
ごめんなさい。
47年ぶりの人も来てくださり、たいへん楽しい会だったことだけは確かです。
隊長の洲崎君、通訳案内士の真田君、お疲れ様でした。
皆さん、追加報告お願いします。

【七坂あたりぶらり歩きを計画していたお昼の部】

朝から、怪しい空模様と異様なまでの温かさの中、洲崎隊長から決行の号令が下りました。
何週間も前から、コースにまつわるクイズを作り、当日ビンゴゲームが楽しめるようにしてくれた、われらが隊長です。
地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘に集合。

真田全国通訳案内士が、浄土を目指す善男善女7名を引き連れ、まずは逢坂を下りました。
天神坂は案内士の好みに合わないため、横目でチラ見のみ。
清水寺の玉出の瀧で修行僧を想う(京の清水寺より、こっちの方が古い?)
愛染坂を親しき友と語りて、プラプラ上がる。
大江神社からは、海の方まで見えたんやったっけ?
愛染堂にさしかかり、雨に降られて、これもまた情緒あり。
われら以外、人の姿のないところ。愛染さんの軒下で、ああ贅沢な休憩だこと。

ここで和尚と合流。 はしましたが、和尚、足の故障で、一足先に梅田へ。
浄土のことは、すでに承知の和尚だけに、七坂歩きはしなくていいでしょ。
24℃もある温かさ。善女たちの柔肌を蚊が襲う。
痒い痒いという善女たちに「マキロンは持ってるけどムヒはないわ」という隊長。

さて、藤原家隆の塚を通り、夕陽丘高女跡碑を見て口縄坂を下る。
雨の中、松屋町筋を、喫茶店があったらいいのにと言いながら歩く。
ついに、通訳案内士の大好きな源聖寺坂。このカーブがお気に入り。
生國魂神社を通って、ゴールの大蓮寺。
入ってすぐ正面に、天高開校の地碑が。
こんなに目立つとこにあっていいんやろか、優遇されてる。
そうそう、今日歩いたところの建物、石碑などのビンゴゲームをせんとあかん。
座ってゆっくりできるところ、日本橋から地下鉄に乗り、夜の宴会会場に急いで向かった次第です。

【グランフロント南館7F「パン デ メレ」にて宴会】

ここからの参加者7名、計15名で始まりました。
その前に、歩き組のビンゴゲームは大島さんが優勝。立派なメダルを隊長から授与される。

スパークリングで乾杯!!
少しでも新しいメンバーをという幹事の熱意でしょうか、ほんとに47年ぶりという二人が参加してくれました。
竹中くんと吉村くん。
みんなの顔がわからない、と言ってた二人ですが、すぐに高校時代に、いえそれ以上にわいわいがやがや。

お店を追い出された後も、皆別れがたく、向かいのカフェで3次会。
高校生に戻ったせいか、耳が遠くなったせいか、かなりうるさい団体だったと思います。
高知に牛を見に行こうとか香住にカニを食べに行こうとか、皆好き勝手を申してました。

【第一部散策参加者】
 大和田、宮崎、福井、中西、大島、洲崎、真田、中井

【第二部宴会参加者】
 大和田、宮崎、福井、中西、大島、洲崎、真田、中井、冨永、竹中、吉村、山岨、新井、小幡、阪本

【第三部カフェ参加者】
 大和田、宮崎、福井、洲崎、真田、中井、冨永、竹中、吉村、山岨、新井、小幡



【真田全国通訳案内士のコメント】
中井さん、詳しい旅レポありがとうございます。
7坂散策に参加の皆さん、雨模様なのに、どなたも滑らず、躓かず、こけずに口縄坂の「霞も匂う夕陽丘」
の夕陽丘高女跡の碑や大蓮寺の天高開校の地の碑を見られて、よかったです。

わたしが源聖寺坂を一押しするのは、この坂が上り口の北側にある源聖寺の境内の一部を使ってできた坂で、
お寺の名前がそのまま坂の名前になっていること、7坂で最大の高低差(17.5m)があり、坂の途中でゆるくカーブし、
変化に富んだ景色が見られること、坂の両側にお寺の白壁が続いていること、など7坂でもっとも意外性のある坂だからです。
かつて、船場の商家の人たちは、お寺や料亭が立ち並んだこの坂を上り、熊野街道を南進して、四天王寺など
上町台地のお寺にお参りがてら、料亭や花見にも興じたらしい。

小倉屋山本の創業者を描いた「暖簾」(山崎豊子作、1958年映画化)の冒頭で、淡路島から出きた15歳の吾平が、
船場の老舗の昆布問屋の旦さんに出会い、丁稚奉公を願い出るのもこの坂。

当日も、上り口から源聖寺や金台寺の威風堂々とした山門、白壁の上に見え隠れする甍、雨で光る石畳
(かつての市電の敷石)、坂から見下ろす雨に煙る街並み、上りきると暦延寺の境内の真紅の紅葉、
最初に寺町に移ってきた銀山寺の大きな本堂、と雨模様だったので、これまでと違った坂の景色を見ることができました。

真田
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