140406

天高23期トルコ遺跡ツアー 第1報


【第3報:千田隊長よりカマン遺跡訪問記】

カマン遺跡訪問記 ?トルコ旅行の目的であったカマンの遺跡訪問の報告です。 先日の、田丸報告担当大臣の全体報告、別に掲載される写真と合わせてご覧ください (報告担当見習:千田)? トルコの中央部、アンカラとカッパドキアの中間、アナトリア高原の町カマンの郊外に、 日本アナトリア考古学研究所はあります。 同研究所は、カマン・カレホユック、ヤッスホユック、ビュクリカレの3遺跡の発掘調査を 進めています。 この旅行では、この三つの遺跡を巡り、カマンに丹司さんを訪ねることが目的で、 7月13日に研究所を訪問しました。研究所長の大村幸弘さんは大村(丹司)正子さんのご主人です。 カマン・カレホユックは、1986年に調査が始められた遺跡で、ビュクリュカレとヤッスホユックの中間に位置します。 この遺跡は、古くから東西と南北の街道が交差する要衝にあり、そのために各時代の遺物が層をなして眠っています。 丘状の遺跡を、上から順に掘り下げていくことにより、時代の変化を明らかにすることができ、これによって 歴史年表「文化編年」を再構成することが、この遺跡調査の大きな目的であると大村さんは力説されています。 事実、研究所には、各層から丁寧に掘り出された遺物が、層ごとにコンテナ整理されており、この膨大な遺物を 順にみていくだけで文化の変化が明瞭にみえてきます。 たとえば、ヒッタイト人は、初めて製鉄技術を獲得したことにより強大な帝国を築いたとされていますが、 カマンの遺跡から、ヒッタイト以前の鉄の残滓が発見されたことで、歴史が書き直されようとしています。 残念ながら、カマンの遺跡の発掘調査は翌週から始まるということで、まだ保護のためのトタン屋根が かけられていましたが、一部、屋根のはがされたところから様子をみることができました。 一方、これまでの調査結果は、アナトリア考古学博物館に展示されています。 また、研究所はゆったりとした雰囲気のよい環境にあり、膨大な図書や研究員の残した研究ノート、 発掘調査記録や資料の分析をする人たち、土器破片等を集めて元の形に復元する作業室、人骨の収集等、 研究の最前線をみせてもらうことができました。また、トルコ人を含む多くの若手研究者を育て、 地元の人たちに広く公開し、成果を地元に還元するという姿勢にも感銘を受けました。 カマンの前に、最初に訪れたのは、丹司さんが発掘調査隊長を務めるヤッスホユックでした。 広大な小麦畑の中丘状の遺跡を少し登ると、発掘された遺構にはトタンの保護屋根がかけれられていて、 外からは何も見えませんでした。 しかし、トタンの壁に設けられた入り口から、はしごを使って5メートルほど下におりると、 そこは4千年以上前(前期青銅器時代)の建物が掘り出された遺跡の真っただ中でした。 遺跡内部はトタンの隙間から入る陽ざしが頼りの薄暗く蒸し暑いところでした。 しかし、日干し煉瓦や石積みの壁、火災の痕跡、広間など、説明を聞きながら、 屋根を支える鉄骨に頭をぶつけながらでしたが、紀元前2200年頃の宮殿の中を歩きました。 ここでは、古代の都市の構造を明らかにすることが目的で、錯綜した異なる時代の遺構からこれを 読み取っていく作業が続けられています。この遺跡の発掘は9月からということでした。 最後の遺跡は、ビュクリカレで、発掘隊長を務める松村さんが案内をしてくださいました。 小山を登り、狭い斜面を歩くやや厳しい地形でしたが、ここではヒッタイト時代の都市と、 その前のアッシリア商業植民地時代の遺跡の調査が進められています。 石積みの壁が、自然石を積んだものから切り出された石の壁に変化しています。 石壁の間の材木が、まだ年輪がはっきりみえる生々しい状態で発見されているのに驚きました。 研究所の敷地に日本庭園が設けられており、池には錦鯉が泳いでいます。 トルコの人たちの人気スポットで、特に新婚さんが写真を撮りにくるそうです。 もう一つ特筆すべきは、研究所の食堂でいただいた昼食です。 シェフが腕によりをかけたトルコ料理を、研究所の畑でとれたキュウリやトルコ風の紅茶 (チャイ)などとともにおいしくいただきました。旅行中随一との評判もありました。 予定の時間を2時間以上オーバーするほど、丁寧に案内をしていただきました。 発掘の意義や成果をどのくらい理解できたかは心もとないですが、雄大な中央アナトリアの風景、 瀟洒な研究所のたたずまいとともに、発掘隊長の解説付きでの遺跡巡りというぜいたくを 大いに楽しんだことは間違いありません。
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